心の傷を抱えた者同士なら、分かり合えるのか?


「心の傷」
と言っても、程度には大きな差があると思う。
浅い傷もあれば、深い傷もある。

そんな心の傷を抱えた人達が集まる
当事者グループも幾つか存在する。

ただ恐ろしいのは、
この当事者の集まりにおいても、
優位に立つのは、
「明るい」、「喋り上手」、「顔が広い」、「コミュ力高い」
という人達だ。

心に傷を負ってしまった人は、
「暗い」、「喋り下手」、「顔が狭い」、「コミュ力低い」
という特性になりがちであり、
そういう特性があっても許されると思って
当事者グループへ参加する。
しかし、返り討ちに遭ったりする。

前回の記事↓
『キズ』 を誰も知らない・・・
でも書いた通り、傷の深さには差がある。
同じくらい走るのが遅い人でも、
今までサボっていたから遅い人と
足の一部が切断されていて遅い人と存在する。
その2人を同等に考えるのに無理があるのだが、
心の傷の分野では、
それらが同等に考えられてしまう。

「やっぱり笑顔が大切だと思うんだ」
「自分の思いをキチンと伝えるべきでしょ」
「先週は大阪のタケルと会って、来週は東京でヨシキと会う」
「大人として周りに気を配る事くらい出来なきゃ」
・・・など。
世間一般では大切とされるフレーズだけど、
心の傷の当事者グループでそれを言うのはどうだろう?
僕としては、
心の傷の当事者グループ内での明るさ全力アピールはダメだと思う。

「明るい人は上位、暗い人が下位」
と言う事が絶対的な社会。
そこから外れてしまった人にも
安心できる場所が欲しいと願います。
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『キズ』 を誰も知らない・・・

(↓は、僕の考えた架空の話ですが、よろしくお願いします)(※長文注意※)

「鈍足からのスタート!」
と言う番組企画が始まった。
フトシさん、キズさんという挑戦者が2人いた。
2人とも走る事で悩んでいて、
フトシさん、キズさん共に1kmを走るのに10分掛かっていた。
1kmで10分というのはやはり鈍足の部類だった。

走りの悩みの解決人として、あるコーチが派遣された。
そのコーチの元、
2018年7月1日から厳しいトレーニングが始まった。

それは毎日10kmを走ると言う、厳しいものだった。
しかし、そのトレーニングを続けたお蔭で、
約3ヵ月後の2018年10月1日には、
フトシさんは1kmを6分で走る事が出来た。
しかし、
キズさんは1kmを10分でしか走れなかった。

フトシさんは10分→6分と大幅なスピードアップ
を達成したのに対し、
キズさんは10分→10分と全く変わらなかった。

この結果を見て、コーチはキズさんに激怒した。
「ふざけるな!どうしてサボったんだ!」
「この3ヶ月でフトシは4分も速くなったんだ。
それなのにお前(キズ)は1秒すら速くなってないじゃないか!?」

そして、フトシさんもキズさんに対して怒り始めた。
「走るのが遅いという同じ悩みを持つもの同士、
頑張ろうって誓ったじゃないか!
何で怠けたの?」
「見損なったよ」
と吐き捨てられた。

 キズさんは顔面蒼白状態で、
「ごめんなさい。ごめんなさい」
と何度も何度も謝る事しか出来なかった。

 しかしこの時、
コーチもフトシさんも知らない事があった。
実はキズさんの右足の一部は欠損していた。
足に欠損箇所がありながらキズさんは走っていたのだった。

 キズさんのタイムが10分→10分と、
3ヶ月のトレーニングの後でも全く変わらない事にも
理由があった。
それは、この企画が始まる7月1日以前から、
相当に厳しい練習をして、極限までトレーニングをし、
1kmを10分で走れるようになった上で企画に参加した事だった。
足を欠損した上で1kmを10分で走るという事は、
キズさんの死にもの狂いのトレーニングの成果であり、
奇跡的な事であった。

一方で、
フトシさんはこの企画が始まる前日まで暴飲暴食の日々だった。
体重も100kgあり、1日12時間以上が睡眠であり、
起きては食べ続けの日々だった。
走る事などまるでない日々を送っていた。
そこからの3ヶ月のトレーニングは大きな結果をもたらした。
たった3ヶ月で1kmタイムが10分→6分となった。
体重も100kg→70kgと激減し、
見た目も激変した。

1kmランニングにおいて、3ヶ月のトレーニングの結果、
フトシさんは10分掛かっていたのが、6分で走れるようになった。
キズさんは10分掛かっていて、10分のままだった・・・
当然、周りで見ていた人達もフトシさんを褒め称え、キズさんを馬鹿にした。

コーチやフトシさんの居ない所でも、キズさんは必死のトレーニングを続けていた。
右足の一部欠損によるバランスの崩れ、
右足をカバーする事での左足への負担、
右足を引きずるように走る事での関節の痛み・・・
様々な苦悩を抱えながらもキズさんは寡黙にトレーニングを続けた。
右足の欠損箇所からは血が滲み、それが化膿もしていた。
ただ、それでもなお、キズさんのスピードは1kmを10分のままだった。
実際、キズさんの努力はフトシさんの努力を遥かに超えていた。
しかし、キズさんは結果を残せなかった。

それから更に3ヶ月のトレーニングを積み重ね、
2019年1月1日には、
フトシさんは1kmを5分で走れるようになった。
しかし、
キズさんは1km走るのに10分のままだった。
そして企画は終了した。

フトシさんには称賛の嵐、
キズさんに対しては批判の嵐で幕を閉じた。

フトシさんはその後、社会の中で活躍した。
しかし、
キズさんは・・・
生きる力を失った。

(↑ 架空の話はここまでです)





実際の話、
足に欠損箇所があれば気づいてもらえます。
なので、このような話は現実的にはありません。
しかし、
心の傷において、このような事はすぐ身近にあります。
そのことについて、知る人は少なく、
また知る事を拒む人もいます。

人付き合い能力、
コミュニケーション能力において、
「努力しなきゃだめだぞ!!努力次第で変わるんだから」
と力強く説教する人がいます。
しかし、
心に傷のある人、心の一部が欠損した人には、
そう簡単な問題ではないのです。
その辺のこちら側の思いが世間に通じない事に
空しさや絶望を感じています。時には怒りすらも。

 足の一部を欠損した人が、
そのままの状態で
健常者のように走る事など出来ません。
補助器具が必ず必要です。
ただ、そうした部分で、
心の一部を欠損した人は、
そのままの状態でコミュニケーションを取らねばなりません。
補助器具などありません。
ある意味では、
精神病薬やカウンセリングなどが補助器具の代替えかもしれませんが、
まあ役立たずな補助器具です。

今回の架空の物語で、
・フトシさん・・・健康ではあるが努力して来なかった人
・キズさん・・・足の一部欠損はあるが、努力の人
という2人を取り上げました。
 同じ『鈍足』という悩みを持ちながらも、
この2人は全く違うという事が分かって頂けましたでしょうか?

僕としては、この物語を通して、
コミュニケーション能力、人付き合い能力、
心の傷などを考えて頂ければと思っています。
「努力したからコミュニケーション能力が高い」
とか、
「甘えて生きて来たから、人付き合い能力が低い」
と言う考え方が、
時に人を大きく傷付けている事に気付いて欲しいと
切に願います。


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虐待死の『死』を逃れたなら・・・

 これだけ虐待について報道されるようになっても、
いまだに虐待死の事件は起こっています。
本当に残念に思います。

 子を虐待し、死なせた親には、
極刑を科して欲しいと切に願います。
そういう親には心底から苦しんで死んで頂きたいです。

『虐待死』 のニュースを見ると、
「救えなかった命」
という表現が良くされています。

そうした表現に対し、
命さえ救えば良いのか?
と思ってしまう僕がいます。

「命さえ救えば何とかなる」
と考える世間に、
僕は単純過ぎると思ってしまうのです。

虐待について、大きな注目を浴びるのは、
『死』の時だけです。
虐待で幼い子が死んだ時のみ、
世間一般の人は関心を持ちます。
NEWSでも大々的に取り上げられます。

ただ、
「救えなかった命」
に対して、
「生き延びた命」
も当然あるはずです。

では、
「生き延びた命」
は世間でどう扱われているのか?

僕が思うには、
「生き延びた命」は、
世間で冷遇されていると思っています。

虐待親の元で生き延びてしまったなら、
その子は、普通ではない子に育ちます。
周りと異質な子となります。
対人恐怖症、奴隷体質、親を憎む、秘密を抱える・・・などの
特徴を持ってしまいます。
周りと分かり合う事など出来ません。
しかし、生きて行く為には、周りに合わせるしかない。
心を閉ざしながらも、コミュニケーションはとらねばならない。
これがとんでもなく苦しいのです。
しかし、どれだけ苦しみ頑張ったとしても、
世間で評価される人間にはなれない。
対人恐怖症、奴隷体質、親を憎む、秘密を抱える・・・
そんな人間を世間は評価しない。
あくまでも世間は「明るい人」を評価する。
そんな中で、狂ってしまう人がいても何ら不思議でないと僕は思います。


「あの時、
児童相談所の職員がもっと早く気付いていれば、
あの子の命は助かったのに・・・」
と発言する人に考えて欲しい。

その子がもし助かったなら・・・
虐待死の『死』を逃れたなら・・・
そこから更なる地獄の生活が待っている事を・・・
その地獄を作り出しているのが認識不足の世間だと言う事を・・・

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『新幹線内で3人が殺傷された事件』 について、ナギヒロ独自の視点

『 2018年6月9日(土)21時50分頃、
東京発新大阪行き「のぞみ265号(新横浜-小田原間)」で、
男女3人が死傷する事件が発生した。

報道によると、同列車の12号に乗車していた男が突然立ち上がり、
隣の席に座っていた30代の女性を刃物(ナタ)で切りつけたという。
それを止めに入った30代の男性が刺され、搬送先の病院で死亡。
その他20代の女性1人が軽傷を負い、計3人が死傷した。

抵抗することもなく、その場で現行犯逮捕されたのは、
無職・小島一朗容疑者(22)だった 』


 最近は、
この事件について色々と考えてしまいます。
まず第一に、
全く関係ないにも関わらず、
いきなり切りつけられた被害者の方々を思うと、
小島容疑者を許せないという気持ちがあります。

 ただ、
小島容疑者の生い立ちを考えると、
自暴自棄になる気持ちも理解出来てしまい、
僕としては複雑な心境です。

 小島容疑者に対して、
「身勝手で甘えている」
「顔が犯罪者の顔で気持ち悪い」
「生まれつきの犯罪者」
「もう成人してるんでしょ?親は関係ないでしょ」
「人間関係が上手く行かない人間は、やっぱりダメなんだよ」
・・・ 
というコメントを発する人に対しては、
強い違和感を持つ自分がいます。


〈小島容疑者の生い立ち〉
5歳の時に発達障害と診断
13歳、学校ではいじめを受けていた為に不登校
14歳、自立支援施設に入所
20歳、いじめなど人間関係の悪化から会社を退職
21歳、実の両親との戸籍から離脱し、祖母と養子縁組


〈父親のコメント〉
「小島一朗(容疑者)ができる償いを彼にできる限り、
心からの人生をそれを償うように生きてほしい」
「取り返しのつかない事をした彼がどう償っていくか見守っていきたい」
「それ以来私は会っていませんので、記憶がちょっと曖昧なところがあります」
また、
小島容疑者を戸籍から外した理由について、父親にコメントを求めると、
「(施設が)学校から近いというのもあったと思いますけど、
うちには居たくなかったというか、出て行くつもりだったようで」
「本人(小島容疑者)から直接聞いてください。
うちが追い出したわけでもないんですけど、
本人が正しいというなら正しい道を選びなさいというのが
当時の父としての言い方でありまして」

〈母親のコメント〉
「一朗は小さい頃から発達障害があり大変育てにくい子でしたが、
私なりに愛情をかけて育ててきました。」
「今回このような事件を起こしたことは、予想もできず、
まさに青天のへきれきで、
自殺することはあってもまさか
他殺するなんて思いも及びませんでした」

 こうした父親、母親のコメントを聞いて、
僕個人としては、怒りを感じました。
「自分の子供じゃないのか?何だ?この他人事感覚は?」と。
そして、
「あんた達(父、母)が、小島容疑者というモンスターをつくったんだろ」
と思いました。

 小島容疑者の幼少期に、
この父親と母親は口外できない行為をしたのではないか?
と僕個人として予想してしまいます。
まだ小島容疑者の幼少期については報道されていませんが・・・

 リスクの多い発言になりますが、
この小島容疑者が、
とてつもなく苦しんだ日々が想像できます。
父親、母親はそうだし、先生やクラスメート、職場の人からも
虐められたり、邪魔者扱いされて生きる事は、本当に生き地獄です。
本物の毒親から始まる負の連鎖から逃れる事は容易ではありません。
小島容疑者もまた、毒親の犠牲者だったと考えています。

「うちも毒親だったけど、昔の事だし、今は解決して、楽しくやってるよ」
みたいな事を当事者であるかのように気軽に言う人がいますが、
本物の毒はそんなものではありません。

 この事件を通じ、
「毒親育ちの人は大変に危険だ。社会から排除しましょう」
という風潮が広がるのであれば、それは大きな間違いだと思う。
そんな事をすれば、余計に問題は深刻化するはずだ。
今現在、毒親育ちの人にとって、大変に生きづらい状況がある。
もちろん、毒親育ちだから・・・と差別されている訳ではないが、
その特徴を持った人が苦しむ状況が確実に存在している。
孤独な毒親育ちの人への理解さえ進めば・・・と願っています。

 重ねて申し上げますが、
今回、小島容疑者のした事は、
無関係の人を傷付け、殺害したものであり、
決して人間として許される事ではありません。
最大の極刑を受けるべきだと思っています。
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『”ひとりぼっち” を嘆く人へのアドバイス』に対して思う。

『 ”ひとりぼっち” で悩む人へのアドバイス。

社会の中には多くの出会いの場があります。知ってますか?
スポーツサークル、消防団、
習い事だってあなたの街にあると思うのです。
調べれば幾らでも出会いの場は見つかるはず。
まずは検索から第一歩を踏み出しましょう。

にっこり笑顔で隣の人に話し掛けてみましょう。
ちょっとしたきっかけで”ひとりぼっち”は解決できるのです。
私だってそうでした。
本人がひきこもっていては、何も変わりません。

ちょっとの努力とちょっとの勇気、
”ひとりぼっち”な自分を変えてみましょうよ。 』



↑上記のようなアドバイスを聞いた事がありますか?
僕は腐るほど聞いてきました。
そしてこのアドバイスは全く役に立ちませんでした。
それどころか、余計に傷付いた記憶があります。

「ちょっとの努力とちょっとの勇気」って・・・
”ひとりぼっち”の人は、
努力も勇気も無い人という認識でしょうか?

”ひとりぼっち”の人には、
そこに至るまでの経緯や経験があるのだと僕は考えています。
虐待、イジメ、人間不信に陥るような行為など。

そうした経緯や経験が無理解なまま、
「話し掛ける勇気」をアドバイスされても、
”ひとりぼっち”で悩む人にはキツイと思うのです。
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