『自信格差』 は、なぜ生まれるのだろう?

「あなたは自分に自信がありますか?」
と聞かれて、
「ハイ。自信あります」
と答えられる人は少ないと思います。
全体の10%もいないかもしれませんね。

 ただ、ひきこもり経験者とかだと、
「自信がある、なし」を話し合う次元ではなく、
毎日が震えるほど不安で仕方ない状態だと思います。



①「学校の勉強を頑張れば自信に繋がる」
②「運動を頑張れば、それが必ず自信になるから」
なんて話を学校の先生から良く聞かされました。

 思春期の頃は、僕は強烈に不安定な精神状態だったので、
自信が欲しくて欲しくて、勉強と運動と自分なりに頑張りました。
頑張った結果・・・
「あれ?何で?」
という状態に陥りました。
勉強と運動で頑張っても、全く自信を得て無かったからです。
勉強と運動で僕よりも下であっても自信満々の人も沢山いました。
というよりも僕より自信の無い人がいない感じでした。

 「東大生は自信があるのか?」
を考えれば①の結果が分かると思われます。
勉強は自信には繋がりません。

「プロのスポーツマンは自信があるのか?」
を考えれば②の結果は分かるかもしれません。
勉強よりは運動の方が自信に繋がるかも。
わざわざ「かも」と書いたのは、
自信のある人しかレギュラーに選ばれないからです。
同じ能力があっても、明るい人と暗い人がいれば、
暗い方が補欠に回されます。
明るい方がレギュラー獲得です。

「スポーツマンには明るい人が多いから、
スポーツを続けていると明るくなる」
という考えが浸透していますが、
実際は、
「プロスポーツマンに到達する過程において、
いくら運動能力が高くても、
コミュニケーション能力が低かったり、性格が暗かったり、
社交性が無かったりする人は排除されて行く。
結果としてプロスポーツマンは明るい人」
という流れがあると思います。


①、②の事から、
勉強を頑張ると、勉強についての自信は得られる。
運動を頑張ると、運動についての自信は得られる。
と僕は限定的に考えます。
つまり、
勉強や運動の頑張りから、自分の性格的な自信は得られないと思います。


(1)自分の性格に自信を持つ人、
(2)自分の性格に自信の持てない人、
この二人の差は何?
勉強が出来る、運動が出来るとかよりも
圧倒的に人生格差を生む性格的自信。
僕としては、やはり、
親の子供への接し方が『自信格差』を生むと思います。
子供側からすれば、不平等な話ですが、
そんな現実があるように思います。

子供時代の自信のある?なし?
が大人になっても続くとは・・・
無念で仕方ないとも思います。

「三つ子の魂百まで」とは良く言ったものだと思います。


これからの自分が、
自信を持って生きて行く為の
建設的なプランを持つ事が一番重要だと思いますが、
本当に難し過ぎる事なのです。

今出来る事は問題点の洗い出し。
それならそれで、書き留めておこう。
そんな感じで書きました。 
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前の記事にコメントします

性格が大人しいだけでいくら何かしても、自己主張のうまい人にとられると悔しいですね。「あなたが大人しいからだよ」なんていわれると何も言い返せないですし、どうしてもネガティブに物事を考えてしまいます。震えるほど不安な気持ち小さいときからありますし。
子供は無邪気で天真爛漫が可愛いといわれますが、やはり大人しいと子供の頃から傷つきやすいし損な事もありますね。

こんばんわ、ゆなさん。

 「あなたが大人しいからだよ」
と言われると何も言い返せない。
ってのは僕も何度も経験しています。
言われたその時はパニックで頭が真っ白になり、
ただただ悲しいだけですが、
後で思い出すと怒りに変わってきたりします。

 震えるほど不安な気持ちを小さい時から持ってたのは、
本当に辛いですね。ゆなさんの周りにはキツイ人が多かった
のでしょうか?

 子供は無邪気で天真爛漫だと、周りの大人たちも可愛がって
くれますね。おとなしい子供は相手にしてもらえなかったり、
たまに話し掛けられると
「大人しいねえ。大丈夫?」だったりしますね。
辛い所です。

はじめまして。

本文、とても共感しました。
自分も性格が暗く、コミュニケーション能力が低く、人生がつらくて仕方ないです。
子供の頃からそんな状態だったので。
せめて勉強、運動は人並み以上に頑張り、生徒会活動や奉仕活動も積極的に頑張りましたが、心休まる人間関係は作れないまま大人になりました。
10年前からマラソン大会に出場するようになり、表彰台も何度も経験しましたが、どこの所属にも属することなく今に至ります。
まわりの楽しそうにしている人たちを見るのがとても辛いです。
やはり親子関係なんでしょうか?
甘えられる親ではありませんでした。
スイマセン、つい愚痴めいたコメントを残させてもらいました。

はじめまして、Nさん。

 共感したと言って貰えたのは嬉しく思います。
性格が暗く、コミュニケーション能力が低い場合、今の時代を生きるのは本当に大変だと思います。 
 勉強に運動に頑張り、更に生徒会活動や奉仕活動に積極的に参加されたというのは、本当に努力されたと思うし勇気も必要だったと思います。ただ、これらの頑張りが報われない事もあるのが現実だったりしますね。辛い事だと思います。


マラソン大会に出場されてるのですね。僕もマラソン大会に出るのが趣味です。
努力がそのまま報われる感じが良いと思っています。それにしても表彰台に上がるとは凄いですね。一匹狼で努力されているのですね。僕も一人でやっているので、見習いたい所です。

楽しそうにしている人達を見るのが辛い気持ちは本当に良く分かります。
「なぜ自分だけが・・・」
と惨めな気持ちになりますね。

僕は専門家では無いので分かりませんが、
と言っても専門家も分かっていなかったりしますが、
親子関係は最重要だと考えています。

柔かい親だと穏やかな子になる気がするし、
キツイ親だとおとなしい子になる気がするし、
欠点探しをする親だと神経質な子になると思います。

これからもよろしくお願いします。

甘えを許す社会にならないのかな。

こんにちは。
ぶーたと言います。
自信格差という言葉にビビっときました。
マズローの五段階の欲求ピラミッド(?)というのでしょうか、それを踏まえてコメントさせていただければと思います。
生理的欲求、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認欲求、自己実現欲求の順に人間の欲求の志向が変わるとマズローは説いたそうです。ご存知でしたらすみません。最初の二つをクリアできる家庭は多いでしょう。おそらく。しかし、それ以上の、所属と愛の欲求からは、家庭によってかなりばらつきがあると思います。親が子どもの面倒見られないと子どもは甘えられない。保育園や学校で可愛がってもらえたらまだ甘えられるかもしれませんが、先生たちも全員は見られない。そうすると、甘えたい段階のままの子がいる一方で、もう甘えきったから自己実現の段階に入るという子が出てくる。知らない間に子どもたちの欲求の段階には格差が生まれる。しかし、大人は自己実現しようとする"意識の高い"子どもを評価する。甘えられなかった子はそのまま置いていかれる。自己実現しようと努力する子はたくさんの人を巻き込んで成功していく。こうして格差は開いていく。
そして悲惨なのは、甘えたい欲求があるのに周りの子たちが自己実現の段階にいるので、そこに合わせて独り立ちしようとする子がいること。
常に、認めて!甘えさせて!と心底望みながら、それはもう手に入っていて必要ありません。むしろ目標のために一生懸命頑張っているのを応援してもらえれば嬉しいです。みたいなふりをしなきゃいけない。そのうち、自分がなにしたいのか、どう生きたいのか、誰と一緒にいたいのかわからなくなって、耐えられなくなる。最悪死にたくなる。

これって不平等ですよね。

この甘えを承認するサポートを商品にしたらかなりの人が買うというのは、一時期流行った心屋さんが証明されてると思います。
もっとこの甘えの承認の価値をみんなが知ればいいと思います。
そうしたら、かなりの日本人が今よりも幸せな人生進めるんじゃないかなと。


はじめまして、ぶーたさん。
『自信格差』というのは自分の造語ですが、
気になって頂けたのは幸いに思います。

 マズローの五段階欲求ピラミッドですか?
僕の勉強不足もあってか、初めて聞いた言葉です。
ただ、欲求を段階別で考えるのは興味深いですね。

幼少期に充分に甘えて過ごした子供は次のステップへ進み、
自己実現へと向かい始める。
一方で、幼少期に甘えが許されなかった子供は、
ある年齢に達しても満たされない心を持ってしまう。
自己実現へと向かう同級生を見ると、自分も背伸びして
自己実現段階へ無理矢理突入してしまう。
その背伸びが無理を生じて様々な支障を来たす。という
感じでしょうか?

幼少期に楽しんだ子供が大人になっても楽しく過ごし、
幼少期に苦しんだ子供が大人になっても苦しんで過ごす。
これが本当に問題だなあと思います。

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